「自分の感情に向き合い、言葉の力で良い連鎖を」
自分の「こころ」に正直に。等身大で丁寧な人生を重ねる女性にフォーカスしたインタビュー集です。
今回は「伝わる話し方コンサルタント橋本美幸さん」にお話を伺いました。
話すことが楽しくてワクワクしていた
声の仕事に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょう。
小学生のとき、授業での音読や人と話す時間が好きでした。放送委員に所属し、校内放送で大勢の人に自分の声を届けて伝えることにワクワクしていたのです。それから高校生のとき、TV局のアナウンス教室に通い始めました。アナウンサーという職業にとても憧れがあったのですが、短大卒業後は民間企業に事務職として就職しました。
転機は22歳のときです。横浜博覧会が開催されることになり、MCを担当するコンパニオンを募集していました。喋ることへの熱意をまだ持っていた私は、700人の応募の中から最後の30人に選ばれたのです。これが声を仕事にする第一歩だったと思います。博覧会が終了した後は、NHKの有名アナウンサーが主宰する教室に1年間通い、勉強を続けました。結婚を機に、25歳で縁もゆかりもない福岡に来ることになります。
本当にしたいこと、「ナレーションの仕事」を知る
福岡に来てからはどのように経験を積んだのでしょう。
知人の紹介でテレビ局のリポーターをすることになりました。いくらアナウンス教室に通っていたといっても現場での経験はゼロです。当初は失敗ばかりでしたが、徐々にラジオのCMを任せてもらえたり、結婚式の司会などの仕事も増えていきました。28歳で子どもを授かり休業。復帰のために勉強し直そうとアナウンス教室にいくつか通っていました。
知識や技術が身につき、司会業を続けるのか迷っていたときに、ナレーターの仕事があると知ります。今までは、ナレーターという仕事はテレビ局のアナウンサーが担当するものだと思っていました。でも、そうではなかったのです。「私がやりたかったのは、これだ!」と思いました。自分自身、『言葉』によって元気になったり勇気をもらったりしたことがあります。誰かを元気づけたり、勇気づけたりできる、そういう『言葉』を届けたいんだと、自分の思いに気づけたのです。そこであらたに、ナレーションの学校に行くことに決めました。でも、大きな壁にぶつかってしまったのです。
ナレーターへの道に立ちはだかる壁とはなんだったのでしょう。
ナレーションの教室で「発声ができていない」と言われたのです。MCやリポーターとして、喋ることを長く仕事にしてきたのに、とてもショックでした。個別のボイストレーニングや自主練習で技術を身につけてきたはずだったのに、声が不安定で揺れていると指摘を受けてしまったのです。
ナレーションは声だけで感情までをも表します。今までは、声を張っていてごまかしていたので、囁いたり、声に表情をつけて感情を入れることができなかったのです。
自分の感情を知ることが自分への信頼につながる
どのように乗り越えたのでしょう。
私は好奇心旺盛で、学校に行くのも友だちと遊ぶのも大好きな活発な子どもでした。そんな私が人生初の挫折を味わったのが小学校5年生のときです。
仲良しだと思っていた数名の友だちから、ある日突然無視をされ始めました。
彼女たちから「わがまま」「贅沢だ」「自慢する」「○○の悪口を言った」と言われいきなりの仲間外れです。
自分が無意識にとっていた行動によって「そんなあなたが嫌い」という言葉として突きつけられ、これにはかなりこたえました。
後になって振り返ると私はきっと感じたことや気づいたことを悪気もなくそのまま口に出していたのでしょう。
そのときはお互いに謝り解決しました。
このような早い時期に人間関係の大きな学びを得た経験と引き換えに、周りに嫌われないように、非難されないように、良い人でいられるように、なるべく自分の本音は口に出さないようにと、過度に自分で自分を見張るようにもなっていきました。
そんなことを続けていると、いつのまにか声にも自信のなさが表れるようになっていくんですね。
自分を見つめなおしたとき、うまく声が出ないのは、技術的な問題だけではなく自分のマインドの問題が大きく関わっていると気づきました。
自信のなさから声を出すときにお腹で支えられず、声を外に逃してしまっていました。
それは、覚悟のなさからきています。自分が本当はどう思っているのか、どんな感情を抱いているのかをはっきりと捉えることができるようになったとき、そしてそれらを認め大切にできるようになったとき、心に一本の軸が通りました。すると声が出るようになってきたのです。
心を整えると、声も整う。これが「こえ こころ」の原点です。
不思議なことに、そのタイミングで発声や声の基本を教えてほしいと言う人が現れました。そこからマンツーマンでのレッスンだけでなく、グループレッスンを開催したり、セミナーを開いたり、講師としての仕事がスタートしました。
言葉の力で良い連鎖をつなげていく
これからの夢や目標を教えてください。
現在私の講座は、言葉を使ったコミュニケーションを必要とする職業の方の受講が増えています。
もし、その方がストレスにさらされている状態で言葉を発していたら仕事への影響はどうでしょう。またストレスを抱えたまま家に帰って些細なことで子どもに怒ってしまう、子どもは学校で友達と喧嘩してしまう、その友達は家で兄弟に八つ当たりをする。そうやってストレスの捌け口として誰かを傷つけてしまう。そういう悪い連鎖がなくなればいいと思うのです。心を整え、呼吸を整え、声を整える。そうすれば、他の人にかける言葉が良いものに変わってきます。だから、私のレッスンやセミナーに来てくださった方々の心、呼吸、声が整って、その方の本来の能力が発揮され仕事の成果が上がり、さらに言葉の力で良い連鎖がつながっていけば良いと思っています。
私のもう一つの活動として、言葉で思いを伝える「リーディング」公演があります。その一環として、実は心にずっと温めていて、チャレンジしたいことがあるんです。
あるテレビ番組の一場面が印象に残っています。東北の震災に遭った男性は、辛いことや悲しいことをずっと心のうちに閉じ込めてしまって、年月が経っても震災の悲しみとお別れすることができませんでした。でも、自分の気持ちを外に出せたときに、やっと一歩進めたとおっしゃっていました。
辛かったこと、伝えたかった思いや分かち合いたかった気持ち、大切にしまっておいた切ない気持ちなど、誰にも話せずに自分の心の中だけに留めてしまっていることは誰にでもあるでしょう。震災に遭った男性のように、素直な感情や思いを話すことで、自分の気持ちの整理ができると思うのです。だから、そんな思いをラブレターのように綴れる場を作りたい。思いを綴ったラブレターをネット上に作ったポストに投函していただき、その大切な思いをラジオで伝えていく。その場所を作るのが、今の私の夢です。
橋本美幸(はしもと みゆき) 伝わる話し方コンサルタント
1965年埼玉県生まれ。小学生の頃から声を人に届けることに興味を持ち、高校時にアナウンス教室に通い始める。 平成元年に開催された横浜博覧会のMCコンパニオンに700人の中から選ばれたのをきっかけに声の仕事に携わるように。元NHKアナウンサーの高橋圭三氏が主宰する「圭三塾」の塾生としてアナウンスの勉強を続け、25歳で福岡に移住し、RKBのリポーターを経験。その後、ラジオ講座への出演、ラジオCMや結婚式の司会など、さまざなな仕事に携わる。 2016年、ナレーションの仕事と出会い、ナレーターを志すも、大きな壁に突き当たる。発声ができていないのは自分の心や感情の問題だと気づき、声と心を整える、発声の独自のメソッドを構築した。 2015年から、ボイスレッスン「こえ こころ」を主宰し、スタート。他にもマンツーマンボイスレッスンやセミナーを開催し、声の出し方、言葉の届け方に特化したマナー待遇・ビジネスコミュニケーションの講師も務める。思いを伝えるためのリーディング公演も開催。
▼HP:koe kokoro
https://www.koekokoro.com/
▼Facebook
https://www.facebook.com/miyuki.hashimoto.188
私のお気に入り
CHANEL COCO CRIMSONの口紅 妹がパリのお土産で買ってきてくれた限定品。真っ赤な口紅で、使うと背筋がすっと伸びます。赤は今は亡き母を思い出す色。 年を重ねるたびに母への憧れが強まっているのかもしれません。