お客様インタビュー
自分の世界を
広げて楽しく
お客様インタビュー 山本 美千子さま
今回は福岡県にお住まいの山本美千子様にお会いしてきました。
山本様の職業はカメラマン。「WEBマダム」の愛称で福岡でご活躍されています。
CoCoRoの撮影をお願いしたことがきっかけでご縁をいただき、CoCoRoの商品をご愛用いただいています。
カメラマンになられたのは、なんと50歳を越えてからだそう。カメラマンになるまでどのような人生を歩まれたのか、またこれからの人生についても興味津々!
石井も私(工藤)も山本様のお話を聞きたくてずっと楽しみにしていたので、念願叶ってのインタビューとなりました。
- DATA
- インタビュー日:2018/1/23
ご愛飲歴:2015年4月~
お客様:山本 美千子さま (61歳)
聞き手:石井理夏、工藤律子
※インタビューでお話しいただいている内容は個人の体験談・感想であり、 商品の効果すべてを保証するものではありません。
インタビュー風景
ブライダル業界を極めた40代
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いつも撮影をする側の山本様が、今回は撮影をされる側ということで、不思議な感じかもしれませんが、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
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本当ね!緊張しちゃうけどよろしくお願いいたします。
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以前伺った時に本当に驚いたのですが、山本様は54歳のときにカメラマンになられたんですよね。
カメラマンになるまではどのような人生を歩まれてきたのですか?
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どこから話したらいいんだろう(笑)元々神戸出身で、今は福岡で暮らしているんだけど…24歳で結婚して、27歳で長男を産みました。
OLとして働いてましたね。でもその時から自分でもちょっと違和感は感じてたのよ。
私にはほかに何かできることがあるんじゃないかなって。
そういうのをふつふつと感じながら、子どもが中学校に入ってから近所の倉庫で荷造りのパートを始めたんです。
まずはそこで100万円を貯めたの。ちょうどそのころ結婚式に招待されて「あぁブライダルの業界っていいなぁ」って思ったの。
それで、貯めたお金でブライダルの勉強をしよう!と、専門の学校を探してブライダルコースに通い始めたんです。 -
その時はおいくつのころですか?
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そのとき40歳くらいだったかな。
1年くらい学校に通って、もっと専門家になろうと、桂由美さん専属のデザイナーさんがされているブライダルフラワーを習ったの。ちょうどそのときは東京に引っ越しをしていてね、東京は一流の先生から専門的に学べるところがたくさんあるからね。
ブライダルを極めたくてカラーコーディネイトとテーブルコーディネイトも、有名な先生のところで学びました。
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学びたい!という強い思いと、前向きな姿勢が素晴らしいですね!
山本様がいろんなことに精通していらっしゃるのは、そういう学びの過去があったからなんですね。 -
極めたかったからね。さらにブライダルを極めるために埼玉の結婚式場で働き始めたの。
まだ「ウエディングプランナー」っていうものがない時代だったな。 -
結婚式場はどのようなお仕事をされていたんですか。
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そのときすでに40歳もとうに越えていたんだけど、ブライダルに必要な資格をたくさんもっていたから、いろんなことをやらせてもらいましたよ。接客、立ち居振る舞い、電話の対応、座り方一つにしても学びがありました。 営業もやってたしね。営業はお見積もりとか書類を作らないといけないでしょう。
だからパソコンの技術も必要になってくる…わからないことは同僚にたくさん聞いて回って…だからパソコンもある程度は触れるようになりました。
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やりたかったブライダルのお仕事で、学んできたことを実践されて、さらに新しいことも吸収されていったわけですね。
ブライダルのお仕事をされているときは、息子さんはまだ成人されていないですよね。
子育てをしながら働くということは、大変ではありませんでしたか? -
そりゃ大変でしたよ~!息子のことも色々ありました。高校生くらいのときはしんどい時もありましたよ。
主人が単身赴任の時期でもありましたし。 -
神戸から関東に来られて、働きながら子育てをされて、ご主人は単身赴任で…ご苦労も多かったのですね。
いろんな問題は全部ご自身で解決していらっしゃったんですか。 -
うーん、もう忘れちゃった(笑)嫌なことって忘れちゃうよね!
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山本様のそういうところ、とっても好きです(笑)
子育てとお仕事を両立させながら、どういうきっかけで福岡に来られることになったんですか。 -
結婚式場で3年くらい働いていたら、主人の転勤で福岡に行くことになったんです。
そのころ大宮に住んでたんだけど、ずっとここに住んでいたら、この仕事だけで人生終わっちゃうなっていう気持ちがあって…たくさんの学びはあったけどね。
だから、福岡転勤!?ラッキー!みたいな(笑)自分を変えるチャンスだって思ったの。 -
ということは福岡に来られてから、カメラを始められたということですね。
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そうそう!でもカメラマンになるのはまだ先の話なんだけどね(笑)
新しいことが始まった福岡での生活
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47歳で福岡に来てね、ブライダルの資格がたくさんあるから、またブライダルのお仕事を探し始めたんだけど、そのタイミングで高知県のお友達が、ホテルのコンサルタントをやらないかって言ってきたの!
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ホテルのコンサルタント!すごいですね。
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これまでのブライダルの経験やテーブルコーディネートの資格があったから、食空間のコンサルタントをやっていました。飛行機に乗ってね、月に一回高知まで。県の予算で三年間やらせてもらいました。
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今までやってきたことが存分に活かせるお仕事をされていたんですね。
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そうですね。
そこでまたさらにやりたいことを見つけるわけですよ。
そのホテルはお遍路さんの宿なのに、ホームページを見たらお遍路さんのことをちゃんとターゲットに入れていないページ作りなんですよ。
もっとうまく見せる方法があるんじゃないかって思って、専門的にわかる人になりたいからウェブクリエイターの学校に通い始めました。
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その行動力!頭が下がります。それはおいくつのときですか。
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もう50歳超えてたね。
でも実際学校に行き始めると、基礎をしっかりやってないから成長が遅いのよ。
やることはやったけど「あ、ウェブクリエイターは違うな」って(笑)
でもね、プログラミングはできなくてもウェブの基礎がわかったうえで、ページの方向性を考えて、コンサルティングや企画をしたいって思ってたから、勉強してよかったです。
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もうウェブクリエイターは無理だなぁって感じていた時に、ウェブの先生が「ブログ書いてみたら?」って言われてね。
やってみるか~!って。ブログ書くにはまずハンドルネームつけないといけないじゃない?
先生のハンドルネームが〈WEBおじさん〉だったから私は〈WEBおばさん〉?
いや~それはないなって思って(笑)名前どうしようかなぁと考えたわけです。
ちょうどそのころは、大濠公園(福岡市内の大きな公園)の近くに住んでてね。
大濠公園の周辺ってほかの場所に比べると、セレブな感じが漂ってるやん?私はセレブでもなんでもないんやけど(笑) そのあたりで暮らして、犬も飼って…っていうのが福岡のステイタスだ!みたいな話を聞いたことがあって(笑) ちょうど福岡にきたタイミングで犬を飼いはじめていたし…ということで〈WEBマダム〉はどうやろ?と先生に提案したらOKが出たんです(笑) -
「WEBマダム」の誕生ですね!それはどのような内容のブログなんですか。
「WEBマダム」誕生
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主にグルメブログです。その頃本当にたくさんの方がブログを見に来てくれていて、ファンの方がたくさんついてくれたの。
そうやってブログを見に来てくれる方の中には福岡のテレビ局の方もいてね。
「よし!テレビ局を意識して書こう!」と思って書いたら、取材の話が来るようになり…(笑) -
すごい!どんな取材がくるんですか。
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いいお店教えてくださいとか、一緒に取材に行ってくださいとかね。
ブロガーとしてテレビに出てくれっていうのもいっぱいありました。
でも私は出るのは嫌だったから、ほかの人を紹介しますって、別の方をつなげて行ったりね。
それこそ断らないでほかの人を紹介するっていうのは私の信念。
そうしたらみんなに喜ばれるし、お礼されてうれしいし、人脈がどんどん増えていきました。 福岡来てから友達に誘われて、フードアナリストの資格も取ってたから、さらにできることは増えていたしね。 イベントもたくさん開催しました。イベントを立ち上げて、ブログに書くとたくさんの人が集まったのね。
うれしかったし面白かった!そこからまたいろんなご縁がつながりました。
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山本様はとっても人脈が広くて人を魅きつける力がすごいなぁといつも思っているのですが、そういう信念があるからこその人脈なんですね。
人とのご縁をつなげていくって素敵なことだと思います。
山本様が仕事をする上で大切にしていることってなんですか。
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断らないこと!(笑)自分ができないことは、周りの人を紹介して、つなげていくことかな。
そうやってつないで行ったら、なぜか最終的に私の10分のTV番組ができたのよ!2日間密着でね。おもしろいよね。
ほかにもね、ブログを書いて、イベントをしてを繰り返していたら対馬観光物産協会福岡事務所の仕事をいただくようになって、ホテルのレストランの顧問のお仕事もいただいたよ。いろんなイベントを開催したり。私、大活躍!(笑)
ちょっとカメラいけてるおばちゃんになりたいわ
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集客のイベントをされていたころは、すでにプロのカメラマンになられていたんですか?
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そう。ウェブクリエイターの勉強をしてたからフォトショップだけはちょっと使えたんだよね。
だからコンパクトデジカメを持ち歩いて、お料理の写真を撮って、フォトショップ(画像加工ソフト)でちょっと加工してね。
アングルだけはいい感じで撮って…そういう写真をブログに載せてたの。そうしたら、「写真うまい!」ってほめられたんですよ。
それがきっかけでカメラに興味がでてきたんです。
「ちょっとカメラいけてるおばちゃんになりたいわ」って思って、カメラと写真の勉強をしに学校へ通い始めました。 -
カメラマンマダム誕生のきっかけですね。
そしてまた学校に通い始めて…行動力がすさまじいです!
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勘違いして調子に乗ってね(笑)カメラの学校の同期は男の子も女の子もいて全部で30人くらいかな。
男の子はほとんどカメラマンになったね。女の子は数人かな。女性の中では私が一番最初にカメラマンになりましたよ。
それはなぜかって言ったら、私はどこに行くにもいつでもカメラを持って歩いて、撮ったものをブログに載せて…というのを繰り返していたから。
人に見せるための写真を撮って載せるということを、毎日のようにやっていたから写真が上手になれたんだと思う。
機材の知識も必要だから、しょっちゅう学校に行っては、いろんな人にいろんなことを尋ねてましたしね。
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人に見せる写真を撮る、という視点で続けられてきたからこその今があるんですね。
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人に見せるために、人を感動させるために写真を撮ってきた。「どうよ!この写真!」ってね(笑)
フードクリエイターとして食に関するコンサルをやったり、形のないもので、お金をもらってきたけど、写真みたいに形に残るものでお金がもらいたいなってずっと思ってたの。
そのほうが評価されるし残るからね。だからそういう風にシフトチェンジしていこうとしてるところ。
人生一回、自分の世界を広げて楽しくするってことが大事
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生きていると、今これでいいのかなって思いながらも、漠然と過ごしてしまう人ってたくさんいると思うんです。
山本様は40歳くらいから「10年後どうしていたい、どうなっていたい」という自分の未来をすごく見ていらっしゃったんだなって感じています。 -
そうですね。明確ではないけど、準備はしてたから今があるのかな。
自分はきっと何かできるはずなのに、何にもない、車の運転免許しかない…だから自分探しをしてたんですね。 絶対ね、女性なら考えることだと思うよ。40歳すぎて、子育てがひと段落して、こどもが18歳くらいになってきたら、自分の人生ってこのまま終わっていくのはいいのだろうかって。
私の場合は、きっともっとできることがあるのになって、その気持ちがすごく強かった。
だから10年後の自分に向けてずっとちょこちょこ活動してましたね。 できないこともあったけど(笑)今では役に立ってることもあるしね。
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山本様のおっしゃる通り、そういう風に感じている女性はとっても多いと思います。
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うん、たくさんいると思うよ。
ましてや主婦は、頑張っててもなかなか評価されないじゃない?だから評価されないんだったらもっと違う世界で輝いてもいいんじゃないかなって思う。
だって自分の人生一回しかないじゃない。家族にいろんなことを求めるのではなくて、もっと自分の世界を広げて、自分で楽しくするって大事かなって思う。
だってこれからどんどん暇になっていくんだもん。だから私は、主人が亡くなったけれども、今は楽しく過ごせてるしね。
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ご主人が闘病されていたことや、亡くなられたことは事前に存じ上げていました。
きっと闘病されていた時期に、山本様とお仕事をご一緒する機会が何度かあったと思うのですが、思い返してみても、山本様はいつもパワフルで、看病が大変なんだとかそんなこと全く感じさせず、いつも楽しくお仕事をさせていただいていました。 -
そうね。というか、そもそも私は主人にカメラマンをやっていることを隠してたからね(笑)
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ええ!!
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ずっと家のなかにカメラを隠してたんです。だって「50歳過ぎてからカメラマンになりました」なんて信じられる?(笑)だから勉強してたころも、プロになって県外に撮影しに行っても、日帰りで帰ってきて、夜ご飯を作ってました。
でも、薄々気づいてきたからね、亡くなる一年くらい前には言ったよ。「私、実はカメラマンやっちゃってんのよね~!」って(笑) -
でもご主人は、山本様が今毎日とても充実して楽しく過ごしていることを、天国で安心して見守ってくれているんでしょうね。
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そう。自分がいなくなったあとの私のことがとっても心配だったみたいだから、今すごく安心してると思うよ。
わたしバリバリやってるから。主人はね、亡くなるギリギリまで一生懸命仕事をしてた。
だから私も仕事に出ていけてたの。でも最後の3、4か月は私もお仕事をお休みしてね。
なんて言うのかな、今の私は自由な時間と、仕事でちょっとした生活の安定ができた感じなのかな。
それこそ、30代40代で考えていた自分の10年後を実現させるために、今まで準備してきたから、今の位置があるのかなって思ってる。実現できてるから、ちょっと幸せだなって思う、そういう意味では。
10年後を見据えて何か準備しておくと楽しい老後が待ってる!
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山本様がCoCoRoの商品に興味を持っていただいたのは、お仕事を通して、ご縁をいただいてからでしたね。
サプリメントや化粧水や美容液をお使いいただいてのリアルな感想をお聞かせいただけますか。 -
CoCoRoプラセンタを飲み始めて半年くらいですね。飲み始めたときはね、三日間続いたハードな撮影も乗り切れて、プラセンタすご~い!って思いました。
今は、飲み続けて体が慣れたのかな(笑)でも、いつも元気でいられるのは、自分で実感しないことでも変化を感じてるのかもしれないけどね。プラセンタには、これから増毛とかホルモンバランスを整えたりとか、そういうことも、もっと期待したいです。
やっぱり60歳過ぎると、今まで気にならなかったことが気になってきたりするんだよね。 -
化粧水と美容液は何年もご愛顧いただいていてありがとうございます!シワがなくてもちもち肌ですね。
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化粧水も美容液も気に入ってて、もう長く使ってるよね。
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山本様の美や元気の秘訣って、サプリメントや化粧水、美容液のほかにも、日々を元気に楽しく、笑って過ごしていることも大きく関係していそうな気がします。
そんないつも笑顔の山本様、これから残りの人生はどう過ごされるのか、計画は立てられましたか。 -
まだまだアクティブにやっていきたい気持ちと、ちょっと遊んでもいいかなっていう気持ちも…心の中は色々よ。
でも新しいことはどんどんやっていきたい!高齢者向けの仕事もやりたいし。年配の方たちの旅行の同行カメラマンとかいいよね! -
まだまだやりたいことがたくさんですね!年齢と重ねてくると、お家のなかでくすぶっていたり、今からいろんなことに挑戦なんで無理だと感じている女性も多いと思います。
更年期世代の方や、山本様と同じぐらいの年代の女性にパワーがわいてくる一言をいただけますか。 -
私は10年後の自分を考えながら生きてきたけど、今いる位置は狙ってできたものではなくて、やってきたことが積み重なってできてきたものだと思っています。
だから、まずはアクションを起こして動くこと。あきらめないことよね。
でも更年期の時期の辛さはわかるから、無理もダメだけどね。私も更年期のときはすごくウツウツしてたよ~!
昨日、当時の友達と話してたんだけど、「あなた更年期のときウツウツしてたわよね」って笑うの(笑)
思い出したくないことをいちいち言わないでって感じなんだけど、でもやっぱりそういう時期って誰しもあると思う。
私も経験してるから、更年期で悩んでいる人がまわりにいても、そのうち更年期が抜ける日がくるから大丈夫だよ~って言えます。
更年期の時期の過ごし方ってあるし、心の持ちようも大事だろうね。
10年後を見据えて何か準備しておくのはいいと思いますよ。そうしたら、子育てが終わった後には、楽しい老後が待ってると思ってます。 -
山本様に老後っていう言葉は似合わないです(笑)
今日は元気になるお話を聞かせていただきましてありがとうございました!
インタビューを終えて
山本様と初めてお会いしたのは、もう3、4年も前になります。
新商品を撮影してくださるカメラマンさんを探していた時に登場したのが山本様でした。
笑顔が素敵でとっても元気なカメラマンさんだ~!と、お会いした時にわくわくしたのを覚えています。
それ以降何度かお仕事をご一緒させていただく機会がありました。
現場を盛り上げてくださって、「場」を作るのが本当に上手でいらっしゃるので、その空間にいられることが幸せな気持ちになります。
私の中で山本様は「会うと元気をもらえる女性」という感じで、山本様のお話を聞いていると、前向きな気分になってきます。
今回のインタビューでもたくさん元気をいただいて、さらに自分の人生、このままじゃやばいなって改めて焦りました(笑)
人生の先輩、勉強になります!ありがとうございました。(スタッフ工藤)
山本美千子さま(WEBマダム)のInstagramはこちらから!>>